アナスタシア・ニコラエヴナ
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この項目では、ロシア大公女について説明しています。モンテネグロ王女については「アナスタシア・ニコラエヴナ (1868-1935)」をご覧ください。 |
アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ(ロシア語: Анастаси́я Никола́евна Рома́нова, ラテン文字転写: Anastasia Nikolaevna Romanova, 1901年6月18日 [ロシア暦 6月5日]- 1918年7月17日)は、最後のロシア皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后の第四皇女。ロシア大公女。1917年の二月革命で成立した臨時政府によって家族とともに監禁された。翌1918年7月17日にエカテリンブルクのイパチェフ館においてヤコフ・ユロフスキーが指揮する銃殺隊によって超法規的殺害(裁判手続きを踏まない殺人)が実行され、家族・従者とともに17歳で銃殺された。2000年にロシア正教会によって新致命者として列聖された。
概要 アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ Анастаси́я Никола́евна Рома́нова, 全名 ...
アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ Анастаси́я Никола́евна Рома́нова | |
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ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家 | |
アナスタシア・ニコラエヴナ(1914年頃) | |
全名 | アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ |
身位 | ロシア大公女 |
出生 |
(1901-06-18) 1901年6月18日 ロシア帝国 サンクトペテルブルク県(英語版)ペテルゴフ、アレクサンドリア(ロシア語版) |
死去 |
(1918-07-17) 1918年7月17日(17歳没) ロシア共和国 ペルミ県エカテリンブルク、イパチェフ館 |
埋葬 |
1998年7月17日 ロシア レニングラード州サンクトペテルブルク、ペトロパヴロフスキー大聖堂 |
父親 | ニコライ2世 |
母親 | アレクサンドラ・フョードロヴナ |
宗教 | ロシア正教会 |
サイン | |
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皇帝一家の埋葬場所が、長年の間、知られていなかったという事実によって後押しされ、殺害後に彼女の生存の伝説が有名となった。1991年にエカテリンブルク近郊で両親と3人の大公女の遺骨が発掘され、さらには2007年に弟のアレクセイと歳の近い姉のマリアもしくはアナスタシア、どちらか1人の大公女の遺骨も発見された結果、皇帝一家が全員殺害されており、一人の生存者もないことが判明した。数多く出現した偽アナスタシアの中でも最も知られているアンナ・アンダーソンは、没後10年後にあたる1994年に、DNA鑑定を行ったものの、アナスタシアの母方の叔母の孫にあたるエディンバラ公フィリップ王配との遺伝的な繋がりは認められなかった。