ミュリオケファロンの戦い
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ミュリオケファロンの戦い(ミュリオケファロンのたたかい、ギリシア語: Μάχη του Μυριοκέφαλου トルコ語: Miryakefalon Savaşı)は、1176年9月17日にアナトリア中部のミュリオケファロン(Myriokephalon)で、コムネノス王朝東ローマ帝国とルーム・セルジューク朝との間で戦われた戦闘であり、ルーム・セルジューク朝が勝利をおさめた。これによりコムネノス王朝東ローマ帝国の衰退が決定的になり、その威信も著しく失墜した。
概要 ミュリオケファロンの戦い, 交戦勢力 ...
ミュリオケファロンの戦い | |
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ギュスターヴ・ドレによって描かれた、マヌエル1世を待ち伏せするセルジューク軍 | |
戦争:セルジューク・東ローマ戦争 | |
年月日:1176年9月17日 | |
場所:トルコ、コンヤ県ベイシェヒル湖 (Lake Beyşehir) 周辺[1] | |
結果:ルーム・セルジューク朝の勝利 | |
交戦勢力 | |
ルーム・セルジューク朝 | 東ローマ帝国 アンティオキア公国 ハンガリー王国 |
指導者・指揮官 | |
クルチ・アルスラーン2世 | マヌエル1世コムネノス |
戦力 | |
不明 | 25,000[2] |
損害 | |
不明 | 不明 |
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