モザンビーク人民共和国
かつてモザンビークに存在した国 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
モザンビーク人民共和国(モザンビークじんみんきょうわこく、ポルトガル語: República Popular de Moçambique)は、社会主義国(西側では一般的に共産主義国として知られる)を自認し、1975年6月25日から1990年12月1日まで続き[1]、今日のモザンビーク共和国となった国家である。
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公用語 | ポルトガル語 | ||||||||||||||
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首都 | マプト | ||||||||||||||
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通貨 | モザンビーク・メティカル | ||||||||||||||
現在 | モザンビーク |
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- モザンビーク人民共和国
- República Popular de Moçambique
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← 1975年 - 1990年 → (国旗) (国章) - 国歌: Viva Viva A FRELIMO(ポルトガル語)
万歳!万歳!FRELIMOよ!
モザンビークの位置
1975年にポルトガルから独立を達成した後、サモラ・マシェルに率いられたモザンビーク解放戦線(FRELIMO)によってモザンビーク人民共和国が設立され、ローデシア(今日のジンバブエ)と、後に資金援助と支援をとって代わった南アフリカ共和国から援助を得たゲリラ運動モザンビーク民族抵抗運動(RENAMO)と残忍な内戦を戦った[2]。また、モザンビーク人民共和国は当時共産主義国だった[3]アンゴラ人民共和国[4]及びソビエト連邦[5]と強固な絆を結んでいた。また、モザンビーク人民共和国は共産主義諸国の経済機構であるコメコンのオブザーバーでもあった[6]。