2011年アルバニア反政府デモ
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2011年アルバニア反政府デモ(2011ねんアルバニアはんせいふデモ)では、2011年初頭に始まったアルバニアでの一連の反政府抗議行動について述べる。
これらの抗議行動が引き起こされた当時、アルバニアでは、野党が選挙の不正を表明したことに端を発し、18か月に及ぶ政治対立が続いていた。その中で、副首相と経済大臣が不正を企てるビデオが大衆に流出した。それによる激しい世論の反発を受け、副首相は辞任に追い込まれた。アルバニア社会党や統一人権党(Unity for Human Rights Party)などの野党は、この選挙における不正疑惑や、広くアルバニアで問題となっている失業、貧困などに対して抗議するために、2011年1月21日に抗議行動をするよう呼びかけた。これに対して与党は、ヨーロッパで最も急速な経済成長を遂げているアルバニアの現状を示し[4]、抗議を批判した。
1月21日、アルバニアの首都ティラナで行われた抗議デモでは、首相サリ・ベリシャの事務所の前でのデモのさなかで共和国防護隊(Garda së Republikës)との衝突で3人が死亡し、1人がその数日後、トルコのアンカラの病院で治療を受けたものの死亡に至った[1]。