ヴィリー・シュトフ
東ドイツの政治家 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
ヴィリー・シュトフ(ドイツ語: Willi Stoph, 1914年7月9日 - 1999年4月13日)は、ドイツ民主共和国の政治家。ドイツ民主共和国(東ドイツ)の閣僚評議会議長(首相)(1964年-1973年、1976年-1989年)、国家元首である国家評議会議長(1973年 - 1976年)を務めた。ドイツ民主共和国英雄の称号を持ち、軍人としての最終階級は上級大将。
概要 生年月日, 出生地 ...
ヴィリー・シュトフ Willi Stoph | |
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シュトフの肖像写真 (1976年4月30日) | |
生年月日 | (1914-07-09) 1914年7月9日 |
出生地 |
ドイツ帝国 プロイセン王国 ベルリン |
没年月日 | (1999-04-13) 1999年4月13日(84歳没) |
死没地 |
ドイツ連邦共和国 ベルリン |
所属政党 |
ドイツ共産党(1931-1946) ドイツ社会主義統一党(1946-1990) |
称号 |
ドイツ民主共和国英雄 カール・マルクス勲章 上級大将 |
内閣 | ジンダーマン内閣 |
在任期間 | 1973年10月3日 - 1976年10月29日 |
党書記長 | エーリッヒ・ホーネッカー |
内閣 |
第1次シュトフ内閣 第2次シュトフ内閣 |
在任期間 |
1964年9月21日 (1976年10月29日) - 1973年10月3日 (1989年11月13日) |
国家評議会議長 |
ヴァルター・ウルブリヒト フリードリヒ・エーベルト(議長代行) エーリッヒ・ホーネッカー エゴン・クレンツ |
内閣 | グローテヴォール内閣 |
在任期間 | 1963年 - 1964年 |
国家評議会議長 | ヴァルター・ウルブリヒト |
内閣 | グローテヴォール内閣 |
在任期間 | 1956年3月1日 - 1960年7月14日 |
大統領 | ヴィルヘルム・ピーク |
内閣 | グローテヴォール内閣 |
在任期間 | 1952年5月9日 - 1955年7月1日 |
大統領 | ヴィルヘルム・ピーク |
その他の職歴 | |
ドイツ民主共和国 国家評議会議員 (1963年 - 1964年) | |
ドイツ民主共和国 閣僚評議会第一副議長 (1962年 - 1964年) | |
ドイツ民主共和国 閣僚評議会副議長 (1954年 - 1962年) | |
ドイツ社会主義統一党政治局員 (1950年 - 1989年) | |
ドイツ社会主義統一党中央委員 (1950年 - 1989年) | |
ドイツ民主共和国 閣僚評議会社会問題局局長 (1950年 - 1952年) | |
ドイツ民主共和国 人民議会経済委員会委員長 (1950年 - 1952年) | |
ドイツ民主共和国 人民議会議員 (1950年 - 1989年) | |
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概要 軍歴, 渾名 ...
軍歴 | |
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ハレで開催されたSED第5回党大会の シュトフ大将 (1958年7月10日) | |
渾名 | 赤いプロイセン人(Roter Preuße) |
所属組織 |
ドイツ陸軍 国家人民軍地上軍 |
軍歴 |
1935年 - 1937年 1940年 - 1945年 (ドイツ陸軍) 1956年 - 1989年 (地上軍) |
最終階級 |
陸軍伍長 (ドイツ陸軍) 上級大将 (地上軍) |
除隊後 | 冷戦犯罪者 |
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1952年から1955年まで内相、1955年から1960年まで国防相を務めた。1960年5月、シュトフがナチズムを部分的に称賛していたことが西ドイツのマスコミに暴露されると国防相を解任されたが、その後も副首相には留まるなど、東ドイツの公職を歴任した。
1964年から1973年まで閣僚評議会議長、1976年まで国家元首として国家評議会議長、1989年秋まで再び閣僚評議会議長を務めた。
ドイツ再統一後の1989年12月から1990年2月まで、汚職の罪で初めて投獄された。1991年5月に、ベルリンの壁付近での殺人容疑で公判前勾留されたが、1993年8月に健康上の理由で釈放された。