イルティッシュ号投降事件ウィキペディア フリーな encyclopedia イルティッシュ号投降事件(イルティッシュごうとうこうじけん)は、ロシアのバルチック艦隊の特務運送船イルティッシュ号(ロシア語: Ирты́ш)が日本海海戦で損傷・航行不能となり、海戦翌日の1905年(明治38年)5月28日、島根県那賀郡都濃村和木(現・江津市和木町)で投降した事件[1][2]。 イルティッシュ号慰霊碑 江津市の海岸(石見海浜公園石見大崎鼻灯台から)
イルティッシュ号投降事件(イルティッシュごうとうこうじけん)は、ロシアのバルチック艦隊の特務運送船イルティッシュ号(ロシア語: Ирты́ш)が日本海海戦で損傷・航行不能となり、海戦翌日の1905年(明治38年)5月28日、島根県那賀郡都濃村和木(現・江津市和木町)で投降した事件[1][2]。 イルティッシュ号慰霊碑 江津市の海岸(石見海浜公園石見大崎鼻灯台から)