サバスデイポイントの戦い
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サバスデイポイントの戦い(サバスデイポイントのたたかい、英 Battle of Sabbath Day Point)は、1757年7月23日に、ジョージ湖沿岸のサバスデイポイントで起きた戦闘である(戦闘というよりは、待ち伏せと呼んだ方が正しい)。約450人のフランス軍とインディアン同盟兵とが、海兵隊のエンサン・ド・コルビエール指揮のもと、植民地民兵中心の、ジョン・パーカー率いる350人のイギリス軍に奇襲をかけた。フランス側は、相手の作戦を知っており、彼らがバトーで湖岸に近づくのを待ち伏せていたのである。この確定的な敗北で、イギリスの戦死者は350人中160人にものぼり、あとの兵も捕虜となった。フランス軍は、報告によれば、軽傷が1人だけだった。
概要 サバスデイポイントの戦い, 時 ...
サバスデイポイントの戦い | |||||||
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フレンチ・インディアン戦争中 | |||||||
サバスデイポイントの近くのジョージ湖沿岸 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
フランス王国 | グレートブリテン王国 | ||||||
指揮官 | |||||||
シャルル・ミシェル・ド・ラングラード エンサン・ド・コルベール | ジョン・パーカー | ||||||
戦力 | |||||||
兵士約450 | 兵士約350 | ||||||
被害者数 | |||||||
負傷1 | 約250人が戦死または捕囚 | ||||||
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