スィッフィーンの戦い
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スィッフィーンの戦い(وقعة صفين、英:Battle of Siffin)は、657年6月-7月(イスラーム暦37年1月-37年2月)にユーフラテス川上流域(シリア北部)のスィッフィーンで行なわれた第4代正統カリフ、アリー・イブン・アビー・ターリブとシリア総督ムアーウィヤの戦い。イスラーム史における第一次内乱(英語版)(656年 - 661年)の山場。この戦いの結果、アリーの政権が分裂してハワーリジュ派が登場し、彼らによってアリーが殺害され、ムアーウィヤがカリフとなってウマイヤ朝を建てる。
概要 スィッフィーンの戦い, 交戦勢力 ...
スィッフィーンの戦い | |
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戦争:第一次内乱(英語版)(656年 - 661年) | |
年月日:657年6月26日-7月28日 | |
場所:スィッフィーン | |
結果:引き分け | |
交戦勢力 | |
ムアーウィヤ アムル・イブン・アル=アース |
正統カリフ |
指導者・指揮官 | |
ムアーウィヤ マルワーン1世 アムル・イブン・アル=アース ワリード・イブン・ウクバ |
アリー・イブン・アビー・ターリブ マリク・イブン・アシュタル アブドゥッラー・イブン・アッバース アンマール・イブン・ヤースィル フザイマ・イブン・サービト Hashim ibn Utbah |
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