ポーランド・リトアニア・モスクワ共和国
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ポーランド・リトアニア・モスクワ共和国(ポーランド・リトアニア・モスクワきょうわこく、英語: Polish–Lithuanian–Muscovite Commonwealth、ポーランド語: Unia polsko-moskiewska、ロシア語: Польско-русская уния)は、かつてポーランド・リトアニア共和国とロシア・ツァーリ国の同君連合として想定された国家案である。こうした連合国家を形成しようという試みは1574年から1658年にかけて現実味を持って取りざたされ、18世紀の後半に至るまで論じられ続けたが、ポーランドとロシア双方の折り合いがつかぬまま、ついに実現しなかった。
ポーランド史上では三国連合(ポーランド語: unia troista)、ポーランド・ロシア連合(unia polsko-rosyjska)、ポーランド・モスクワ連合(unia polsko-moskiewska)などの名称でも呼ばれている。なお英語および日本語における定訳は無く、共和国(ジェチュポスポリタ、Rzeczpospolita)と呼ぶ場合には、ポーランド・リトアニア共和国と同様に現代の「共和国」の定義と異なることに注意が必要である。