ロングポイントの戦い
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ロングポイントの戦い(英: Battle of Longue-Pointe、フランス語ではロングポワント)は、アメリカ独立戦争初期の大陸軍によるカナダ侵攻作戦中、1775年9月25日に、イーサン・アレンが少数の大陸兵とカナダ人民兵を使って、イギリス軍の占めるモントリオールを奪おうとした試みである。アレンは地元住民の中から民兵隊を立ち上げるよう指示を受けていただけだったが、以前から守りの薄いモントリオール市を奪おうと考えていた。約110名となっていたアレンの部隊がセントローレンス川南岸に到着したときにその試みを行う機会を掴んだ。アレンが援軍を連れて現れると思っていたジョン・ブラウンが作戦通りに到着せず、アレン隊は川の北岸で孤立した。
概要 ロングポイントの戦い, 交戦勢力 ...
ロングポイントの戦い | |
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1764年のモントリオール島、ロングポイントは右手のロンゲールの対岸にある。 | |
戦争:アメリカ独立戦争 | |
年月日:1775年9月25日 | |
場所:ケベック植民地モントリオール | |
結果:イギリス軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
アメリカ合衆国大陸軍 | グレートブリテン イギリス軍 |
指導者・指揮官 | |
イーサン・アレン | ガイ・カールトン ジョン・キャンベル |
戦力 | |
大陸兵37名 カナダ人60名[1] |
イギリス軍正規兵34名 イギリス人民兵80名 カナダ人民兵120名 インディアン代理人20名 インディアン数名[2] |
損害 | |
戦死6名 負傷10名 捕虜:大陸兵20名とカナダ人11名 残りは散開[3] |
5-8名[4] |
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イギリス軍のガイ・カールトン将軍は、アレンがセントローレンス川を渡ったという報に接して、大半はイギリス領ケベック植民地の民兵で構成される部隊を派遣した。この部隊がアレン隊の脱出路を遮断し、最後は包囲してアレンとその兵士の多くを捕虜にした。