南部戦線 (アメリカ独立戦争)
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南部戦線(なんぶせんせん、英: Southern theater of the American Revolutionary War)は、アメリカ独立戦争中に、フランスがアメリカ合衆国側で参戦してから作戦行動の中心となったアメリカ南部での一連の戦闘をいう。独立戦争の初めの3年間、戦いの舞台は主にボストン、ニューヨークおよびフィラデルフィアの都市周辺を焦点とする北部だった。サラトガ方面作戦の失敗後、イギリス軍は植民地中央部での作戦活動を諦め、南部植民地で有利な講和条件を作る戦略に切り替えた[1]。
南部戦線 | |
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カウペンスの戦い | |
戦争:アメリカ独立戦争 | |
年月日:1775年 - 1782年 | |
場所:バージニア植民地 など現在のアメリカ合衆国南部 | |
結果:ヨークタウンの戦いでのイギリス軍の降伏 | |
交戦勢力 | |
アメリカ合衆国 フランス王国 |
グレートブリテン王国 |
指導者・指揮官 | |
ナサニエル・グリーン ホレイショ・ゲイツ ベンジャミン・リンカーン |
チャールズ・コーンウォリス ヘンリー・クリントン |
戦力 | |
約18,000の正規兵と民兵 | 約8,000の正規兵と民兵 |
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1778年以前、南部の植民地は大半が愛国者の支配する政府と民兵隊に支配されたが、1776年のチャールストン防衛、ロイヤリスト民兵の抑圧、およびロイヤリストが強く残る東フロリダからイギリス軍を追い出そうとする試みで重要な役割を果たした大陸軍がいた。
イギリス軍の「南部戦略」は1778年遅くにサバンナの占領で始まり、1780年にチャールストンとカムデンで2度大陸軍を破ったことなどサウスカロライナ植民地での作戦が続いた。ナサニエル・グリーンがカムデンの戦い後に南部の大陸軍指揮を執り、イギリス軍に対して衝突を避け、消耗させる戦略に出た。両軍は一連の戦いを続け、戦術的にはイギリス軍が勝利した。しかし大半の場合はその「勝利」がイギリス軍に損失を出させて戦略的に弱らせていくものであり、大陸軍は勢いを失わずに戦い続けた。このことはギルフォード郡庁舎の戦いで如実に現れた。カウペンスの戦いやキングスマウンテンの戦いのような大陸軍の勝利も全体的にイギリス軍の勢力を弱めることに貢献した。戦線の頂点をなしたのはヨークタウンの包囲戦であり、イギリス軍の降伏で終わって、実質的にイギリス軍の植民地における影響力を失わせることになった[2]。