日本の対米英宣戦布告
日本の宣戦布告 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
日本の対米英宣戦布告(にほんのたいべいえいせんせんふこく)、米國及󠄁英國ニ對スル宣戰ノ詔書(べいこくおよびえいこくにたいするせんせんのしょうしょ)は、日本がアメリカ合衆国及びイギリスに対して起こした太平洋戦争(大東亜戦争)についての宣戦布告とそれを伝えた昭和天皇の名において出された詔書である。1941年(昭和16年)12月8日午後11時40分(一部紙新聞では11時45分)に発布された。 この布告は、真珠湾の米海軍基地に対する攻撃および英国軍に対するマラヤ、シンガポール、香港における攻撃が開始されてから7.5時間後に発布されている。12月8日の日本の夕刊全紙の1面に掲載され、その後も戦争への決意を再確認するため、1945年(昭和20年)8月15日に日本が降伏するまで毎月8日に再掲載された[1]。
詳細は「真珠湾攻撃#「帝国政府ノ対米通牒覚書」と宣戦布告」を参照
また、同日午後1時20分には、対英米開戦を宣明する政府声明と内閣告示が出されている。