梅毒の歴史
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梅毒の歴史(ばいどくのれきし)では、梅毒の流行、診断と治療法などの歴史について記述する。
ヨーロッパで最初に記録された梅毒のアウトブレイクは、1494年から1495年にかけて、フランスの侵攻を受けていたイタリア・ナポリで起こったものである[1][2]。フランス軍の帰還とともに梅毒が流行したため、この病気は「フランス病」という名でも知られていた。梅毒を意味する "syphilis" という単語が登場するのは1530年で、イタリアの医師・詩人ジローラモ・フラカストロによって初めて用いられた[2]。梅毒の病原体である梅毒トレポネーマ Treponema pallidum はフリッツ・シャウディン(英語版)とエーリッヒ・ホフマン(英語版)によって1905年に同定された[2]。最初の効果的な治療法であるサルバルサンは、1910年にパウル・エールリヒの研究室の秦佐八郎によって開発され、1943年にはペニシリンが用いられるようになった[2]。
スコット・ジョプリン、フランツ・シューベルト、アル・カポネ、エドゥアール・マネなど、多くの有名な歴史上の人物が梅毒に感染したとされている[2]。