楊リンチェンキャプ
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楊リンチェンキャプ(Yang Rinchen skyabs、生没年不詳)は、13世紀後半にモンゴル帝国(大元ウルス)に仕えたチベット仏教僧の一人。一般的に「南宋諸帝の発陵(南宋歴代皇帝の陵墓を暴いたこと)」に代表される、数々の悪事を働いたチベット仏教僧として知られる。ただし、近年の研究では様々な要因、とりわけその主君たるクビライへの批判を避けるため、ことさらに悪印象を押し付けられたのではないか、と見る説もある。
漢字表記は「楊璉真加(yáng liánzhēnjiā)であるが、「楊」は漢人風の姓、「璉真加」はチベット語名(ワイリー方式:Rin-chen-skyabs; 蔵文拼音:རིན་ཆེན་སྐྱབས་)を音写したものとみられる[注釈 1]。