火薬陰謀事件
1605年にイギリスで発覚した政府転覆未遂事件 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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火薬陰謀事件(かやくいんぼうじけん、Gunpowder Plot)とは、1605年のイングランドにおいてロバート・ケイツビーを首謀者とする同国のカトリック教徒たちが、国王ジェームズ1世の暗殺を企てたが失敗に終わった政府転覆未遂事件。イングランド国教会の成立に伴う半世紀以上にわたるカトリック教徒への迫害を止めさせ、カトリック教徒の君主に挿げ替える企てであった。当時は「火薬反逆陰謀事件(Gunpowder Treason Plot)」や「イエズス会反逆事件(Jesuit Treason)」と呼ばれていた。
17世紀後半から18世紀初頭に書かれたレポート | |
日付 | 1605年11月5日 |
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場所 | イングランド、ロンドン |
関係者 |
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結果 | 計画の露見による失敗、大逆罪で処刑 |
このテロ計画は、1605年11月5日に貴族院(ウェストミンスター宮殿)で行われる予定であった議会開会式を狙い、大量の火薬をもって議場ごと爆破し、国王ジェームズ1世以下その側近らをまとめて暗殺した上で、同時にミッドランズ地方(英語版)で民衆叛乱を起こし、ジェームズの9歳になる王女エリザベスをカトリックの傀儡君主として王位に就けるというものであった。ケイツビーが陰謀を企てたのは、新王ジェームズの宗教政策が期待していたほど寛容ではなく、イングランドのカトリック教徒たちが失望したためだと考えられている。ケイツビーの仲間には、ジョン・ライト、トマス・ウィンター、ガイ・フォークス、トマス・パーシーの主要5名のほか、ロバート・キーズ、トマス・ベイツ、さらに彼らの縁者やカトリックの友人であるクリストファー・ライト、ロバート・ウィンター、ジョン・グラント、アンブローズ・ルックウッド、サー・エバラード・ディグビー、フランシス・トレシャムなどがいた。この中でフォークスは、オランダ独立戦争(八十年戦争)で、反乱軍(独立軍)の鎮圧に失敗したスペイン軍側に10年従軍した経歴を持ち、計画の要となる爆発物の責任者となった。
1605年10月26日、第4代モンティーグル男爵ウィリアム・パーカーに送られた匿名の手紙によって、この計画は当局に察知された。11月4日深夜、貴族院の探索が行われた結果、議場を瓦礫に変えるのに十分な量の火薬樽36本を隠し持つフォークスが見つかり、逮捕された。計画が露見したことを知った犯人らのほとんどはロンドンから逃亡するが、最後の抵抗として計画通りにミッドランズでの反乱を起こそうとした。しかし、もはやケイツビーらを支援したり協力しようとする者はおらず、スタッフォードシャーのホルベッチ・ハウス(英語版)に滞在していたところを、州長官率いる200人規模の追跡隊に襲撃された。この戦闘でケイツビーら主だった者が何名か射殺され、生き残った者は逮捕された。他の場所へ逃げていた者もまもなく逮捕され、平民のベイツを除いて全員がロンドン塔に投獄された。1606年1月27日に行われた裁判において、フォークスを含む生きたまま捕縛された8人が大逆罪で有罪となり、首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑が言い渡された。刑は同月30、31日に執行された。また、ケイツビーら既に死亡していた者も遺体を掘り起こされて斬首され、晒し首にされた。
当時の裁判では陰謀の首謀者はケイツビーらではなく、イエズス会が黒幕ということにされた。計画の詳細については、当時のイングランドにおけるイエズス会の要人であったヘンリー・ガーネット神父が知っていたとされる。彼は最終的に大逆罪で死刑宣告され、1606年5月3日に処刑されたが、実際にどれほど把握していたかについては議論の余地がある。彼は告解によって計画を打ち明けられたがために、告解室の絶対的な守秘義務によって当局に知らせることができなかった。
陰謀が発覚した直後より、イングランド政府は新たな反カトリック法を制定するなど、カトリック弾圧を強める姿勢を見せたが、実際には限定的なものであり、ジェームズ1世の治世下では多くの重要かつ忠実なカトリック教徒が政府高官として活躍した。また事件を起こしたのは、カトリック教徒の中でも一部の過激派であると見なし、外交政策でもスペインなどのカトリック国家との融和に努めた。また、事件は神によって未然に防がれたという認識も登場し、ジェームズは王権神授説の思想を強め、陰謀発覚の翌5日には失敗を記念する焚き火がロンドン市内で焚かれた。これはその後「11月5日の遵守法(英語版)」として正式な祝祭日となり、以降、この日には、特別な説教や教会の鐘を鳴らすといった公的な式典も行われるようになった。これが現在でも11月5日のイギリスで行われているガイ・フォークス・ナイトに発展した。