百年戦争
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この項目では、1337年 - 1453年にフランスとイギリスで実際におきた戦争について説明しています。
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百年戦争(ひゃくねんせんそう、英語: Hundred Years' War、フランス語: Guerre de Cent Ans)は、フランス王国の王位継承およびイングランド王家がフランスに有する広大な領土をめぐり、フランス王国を治めるヴァロワ朝と、イングランド王国を治めるプランタジネット朝およびランカスター朝というフランス人王朝同士の争いに、フランスの領主たちが2派に分かれて戦った内戦である。国家という概念は薄い時代であり、封建諸侯の領地争いが重なったものであったが、戦争を経て次第に国家・国民としてのアイデンティティーが形成されるに至った[1]。現在のフランスとイギリスの国境線が決定した戦争でもある。百年戦争は19世紀初期にフランスで用いられるようになった呼称で、イギリスでも19世紀後半に慣用されるようになった。
百年戦争 | |
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左上から時計回り:ラ・ロシェルの海戦、アジャンクールの戦い、パテーの戦い、オルレアン包囲戦 | |
戦争:百年戦争 | |
年月日:1337年11月1日 - 1453年10月19日 | |
場所:フランス、ネーデルラント、イングランド、スペイン | |
結果:フランス王国側の勝利。ヴァロワ朝によるフランスの事実上の統一 | |
交戦勢力 | |
フランス王国 | イングランド王国
ブルターニュ公国[注釈 5]
ポルトガル王国 |
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伝統的に1337年11月1日のエドワード3世によるフランスへの挑戦状送付から1453年10月19日のボルドー陥落までの116年間の対立状態を指すが、歴史家によっては、実際にギュイエンヌ、カンブレーにおいて戦闘が開始された1339年を開始年とする説もある。いずれにしても戦争状態は間欠的なもので、休戦が宣言された時期もあり、終始戦闘を行っていたというわけではないが、対立状態は続いていた。そのため実態としては百年騒乱とも言うべきものだった。
両国とも自国で戦費を賄うことができなかった。フランスはジェノヴァ共和国に、イングランドはヴェネツィア共和国に、それぞれ外債を引き受けさせた。