金の十字架演説
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金の十字架演説(英:Cross of Gold speech)は、1896年7月9日にシカゴで開催された民主党全国大会で、ネブラスカ州の元下院議員ウィリアム・ジェニングス・ブライアンが行った演説である。「自由な銀」を支持し、これが国家の繁栄をもたらすと信じたブライアンは、演説中において金本位制を批判し、演説の最後に「金の十字架の上に人類を磔にしてはならない[1]」と主張した。この演説により、ブライアンは3度(1896年、1900年、1908年)に亘り民主党大統領候補に指名されることに成功した。
概要 日付, 場所 ...
演説後、代議士たちの肩に乗って歓声に応えるブライアン | |
日付 | 1896年7月9日 (1896-07-09) |
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場所 | イリノイ州シカゴ、アメリカ合衆国 |
テーマ | 金銀複本位制 |
関係者 | ウィリアム・ジェニングス・ブライアン |
結果 | ブライアンが民主党大統領候補の指名を獲得 |
Occurred at | 1896年民主党全国大会3日目 |
ウェブサイト | Later audio recording by Bryan |
Transcript of speech |
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20年間、アメリカ人は国家の通貨基準をめぐって激しく意見が分かれていた。アメリカが1873年から実質的に導入していた金本位制は、貨幣供給量を制限する一方で、イギリスなどの他国との貿易を緩和していた。しかし、多くのアメリカ人は、バイメタリズム(金と銀の両方を法定通貨にすること、金銀複本位制)が国の経済の健全性を保つために必要だと考えていた。1893年の金融パニックは議論を激化させ、民主党のグロバー・クリーブランド大統領が党内の多くの意向に反して金本位制を支持し続けると、活動家たちは民主党の組織を乗っ取り、1896年には銀本位制を支持する候補者を指名しようと決意を固めた。
ブライアンは、大会前まではほとんど支持を得られなかったダークホース候補だった。党の綱領に関する討論会の最後に行われた彼の演説は、大会を熱狂させ、彼が大統領候補になるだけでなく、本選挙でも当選するだろうとの評判を呼んだ。しかし、総選挙ではウィリアム・マッキンリーに敗れ、この政権下で1900年に米国は正式に金本位制を採用した。