イブラーヒーム・イブン・アル=アシュタル
ウィキペディア フリーな encyclopedia
イブラーヒーム・イブン・マーリク・アル=アシュタル・イブン・アル=ハーリス・アル=ナハイー(アラビア語: إبراهيمبنمالكالأشتربنالحارثالنخعي, ラテン文字転写: Ibrāhīm ibn Mālik al-Ashtar ibn al-Ḥārith al-Nakhaʿī, 691年10月没)は、正統カリフのアリー・イブン・アビー・ターリブと、後にはアリー家支持派の指導者であるムフタール・アッ=サカフィーとウマイヤ朝に対抗してカリフを称したアブドゥッラー・イブン・アッ=ズバイルに仕えたアラブ人の将軍である。
概要 イブラーヒーム・イブン・アル=アシュタル, 死没 ...
イブラーヒーム・イブン・アル=アシュタル | |
---|---|
死没 | 691年10月 |
所属組織 | アリー・イブン・アビー・ターリブ (656年 - 661年) ムフタール・アッ=サカフィー (685年 - 687年) アブドゥッラー・イブン・アッ=ズバイル (687年 - 691年) |
戦闘 | スィッフィーンの戦い (657年) ハーズィルの戦い (686年) マスキンの戦い (691年) † |
親族 | マーリク・アル=アシュタル (父) ヌゥマーン・イブン・イブラーヒーム (子) |
他職業 | モスル総督 (687年 - 691年) |
閉じる
イブラーヒームは686年のハーズィルの戦いでウバイドゥッラー・イブン・ズィヤード(英語版)が率いるウマイヤ朝軍に対してムフタール軍を決定的な勝利に導き、ウバイドゥッラーを殺害した。ムフタールの死後はズバイル家に降ったが、691年のマスキンの戦いでウマイヤ朝軍に敗れて戦死した。