ホワイトチャペル殺人事件
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ホワイトチャペル殺人事件(ホワイトチャペルさつじんじけん)、英語圏での呼称・ホワイトチャペル・マーダーズ(英: Whitechapel murders)とは、1888年4月3日から1891年2月13日にかけてロンドンのイーストエンドにあるホワイトチャペル地区や、その近隣で発生した11件の殺人事件のことである。見解によって異なるが、この11件の未解決事件の一部、またはすべてが有名な連続殺人者である切り裂きジャックの犯行と考えられている。
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この事件の被害者の多くが売春婦だった。第1の被害者のスミスは性的暴行を加えられたうえに略奪も受けた。第2の被害者のタブラムは39回刺された。ニコルズ、チャップマン、ストライド、エドウッズ、ケリー、マッケンジー、コールズは喉を切り裂かれた。エドウッズとストライドは同じ日の夜にすぐ近くで殺害された。この2名の殺害は、切り裂きジャックを称する人物が報道機関に送ったハガキで使われていた言葉から「ダブル・イベント(英: double event)」と呼ばれた。ニコルズ、チャップマン、エドウッズ、ケリーの遺体は腹部が切り開かれ、マイレットは絞殺された。身元不明の女性の遺体はバラバラに切断されたが、実際の死因ははっきりしない。
ロンドン警視庁やロンドン市警察だけでなく、ホワイトチャペル自警団(英語版)のような私的な組織も犯人の捜索にあたった。広範囲を捜査し、数名が逮捕されたが、真犯人は特定されなかった。この多数の殺人事件により、イーストエンドのスラムの生活状況の劣悪さに関心が向けられ、のちに改善されることとなった。不朽の謎となった真犯人の正体については、今日まで人々の想像力をかき立てている。