釜山橋頭堡の戦い
ウィキペディア フリーな encyclopedia
釜山橋頭堡の戦い(プサンきょうとうほのたたかい, 英語: Battle of Pusan Perimeter)は、朝鮮戦争中の1950年の8月から9月にかけて、釜山付近に集結したアメリカ軍を主力とする国連軍[† 1]と、朝鮮半島の大部分の地域を制圧していた朝鮮民主主義人民共和国軍(北朝鮮軍)の間で行われた戦闘である。
概要 釜山橋頭堡の戦い, 交戦勢力 ...
釜山橋頭堡の戦い | |
---|---|
洛東江を守る第27連隊の兵士。9月4日撮影。 | |
戦争:朝鮮戦争 | |
年月日:1950年8月 - 9月 | |
場所:朝鮮半島南東部 | |
結果:国連軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
北朝鮮 | 国際連合 |
指導者・指揮官 | |
崔庸健 金策 金雄 武亭 |
ダグラス・マッカーサー ウォルトン・ウォーカー ジョージ・E・ストラトメイヤー(英語版) アーサー・D・ストラブル 丁一権 申性模 |
戦力 | |
約98,000人[1] | 約176,000人[1] |
損害 | |
多数 | アメリカ軍: 戦死 4,599人 負傷 12,058人 捕虜 401人 行方不明 2,107人 韓国軍: 多数 |
閉じる
第8軍司令官ウォルトン・ウォーカー中将が、朝鮮半島の過半を北朝鮮軍が手中にしている状況で、全前線を後退させることで戦闘正面を縮小して兵力を集中させる「朝鮮戦争で一番重要な判断と決心」を行い、これを実行した[2]。
この戦闘により、国連軍は、1950年9月10日[† 2]に開始された仁川上陸作戦の成功により反撃に転じるまでの間、釜山を保つことに成功した。