ポークチョップヒルの戦い
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ポークチョップヒルの戦い (Battle of Pork Chop Hill) とは、朝鮮戦争最末期、すでに板門店で国連軍と中朝連合軍の休戦交渉中である1953年4月から7月の間に、二度に渡って繰り広げられた歩兵戦闘の総称である。中朝連合軍の死傷者は米兵の死傷者の数倍に上ったが、それでも戦略的にも戦術的にも価値の無い丘を巡って、多くの米兵が戦死したことで、米国内では戦闘の是非について多くの議論を巻き起こした。最初の戦闘では国連軍側が勝利し、2度目の戦闘は中朝連合軍が勝利した。
概要 ポークチョップヒルの戦い, 時 ...
ポークチョップヒルの戦い | |||||||
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1952年、米第45歩兵師団 のポークチョップヒルでの戦闘を描いた絵画 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
中国 朝鮮民主主義人民共和国 | |||||||
指揮官 | |||||||
ジェームズ・ヴァン・フリート アーサー・トルドー |
彭徳懐 鐘国楚 | ||||||
部隊 | |||||||
第7歩兵師団 ケブラ・ザバグナ 第21歩兵連隊[1] | 第67師団 (7月の戦闘) | ||||||
戦力 | |||||||
19,000 名 |
20,000名 (国連軍推定) 6,800名 (7月の戦闘) | ||||||
被害者数 | |||||||
米軍: 戦死:347名 負傷:1,036名 捕虜:9名 |
国連軍推定: 戦死1,500 名 負傷4,000名 中国発表: 戦死:533名 負傷:1,242名 |
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1度目の2日に渡る戦闘では米軍を主力とする国連軍は中朝連合軍を丘から撃退したが、2度目は5日間に渡り戦闘が繰り広げられ、両軍ともさらに多くの部隊をつぎ込み、最終的に国連軍が主戦線の後方に撤退した。