イブン・ムクラウィキペディア フリーな encyclopedia イブン・ムクラ(Ibn Muqla; 885年頃生940年7月20日歿)は10世紀前半にアッバース朝の高位職を歴任したペルシア人。権勢の全盛期は920年代末から930年代中葉である。この時期、3度にわたってバグダードで宰相職を務めた。勢力を拡大する地方領主に対抗したが、イブン・ラーイクに敗れ、獄死した(#生涯)。書家としても名高く、ナスフ体、スルス体、イジャーザ体(アラビア語版)の発案者として知られる(#書家として)。 イブン・ムクラと同時代、9-10世紀のアラビア文字が記されたパピルス。
イブン・ムクラ(Ibn Muqla; 885年頃生940年7月20日歿)は10世紀前半にアッバース朝の高位職を歴任したペルシア人。権勢の全盛期は920年代末から930年代中葉である。この時期、3度にわたってバグダードで宰相職を務めた。勢力を拡大する地方領主に対抗したが、イブン・ラーイクに敗れ、獄死した(#生涯)。書家としても名高く、ナスフ体、スルス体、イジャーザ体(アラビア語版)の発案者として知られる(#書家として)。 イブン・ムクラと同時代、9-10世紀のアラビア文字が記されたパピルス。