ロバート・ブラック
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ロバート・ブラウン・ブラック,GCMG,OBE(英語: Sir Robert "Robin" Brown Black[1]、中国語: 柏立基、1906年6月3日—1999年10月29日)はイギリスの植民地官僚。1952年から1955年にかけて香港輔政司、1955年から1957年にかけて第3代シンガポール総督、1958年から1964年にかけて第23代香港総督の任にあった。
ロバート・ブラウン・ブラック GCMG OBE | |
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Sir Robert Black 柏立基爵士 | |
1963年 | |
イギリス領香港 第23代香港総督 | |
任期 1958年1月23日 – 1964年4月1日 | |
君主 | エリザベス2世 |
輔政司 | エッジワース・ベレスフォード・デイヴィッド(中国語版) クロード・バージェス(中国語版) エッジワース・ベレスフォード・デイヴィッド(中国語版) |
前任者 | アレキサンダー・グランサム |
後任者 | デイヴィッド・トレンチ(中国語版) |
英領シンガポール植民地 第3代シンガポール総督 | |
任期 1955年6月30日 – 1957年12月9日 | |
君主 | エリザベス2世 |
布政司 | ウィリアム・グード(英語版) |
前任者 | ジョン・ファーンズ・ニコル |
後任者 | ウィリアム・グード(英語版) |
イギリス領香港 第19代香港輔政司 | |
任期 1952年2月20日 – 1955年3月30日 | |
前任者 | ジョン・ファーンズ・ニコル |
後任者 | エッジワース・ベレスフォード・デイヴィッド(中国語版) |
個人情報 | |
生誕 | (1906-06-03) 1906年6月3日 イギリス スコットランドエディンバラ |
死没 | 1999年10月29日(1999-10-29)(93歳没) イギリス イングランドバークシャーレディング |
出身校 | エディンバラ大学 |
1930年にイギリス領マラヤ政府で働き始めたブラックは、海峽植民地、トリニダード島、北ボルネオ和香港等に奉職した。第二次世界大戦の間、北ボルネオでパルチザンを組織し日本軍に抵抗したが、日本軍に捕まり捕虜となった。戦後、ブラックはシンガポール総督となり、多くの政治危機を解消したほか、自治についての談判に加わり、公務員の現地化を進めた。これらはシンガポールが1959年に自治州となり、1963年にイギリスから独立する基礎となった。
香港総督としての任期中には、香港政庁の自主財政化を目の当たりにした。また大陸から大量の難民が流入したことは、香港に十便な労働力をもたらし、工業と現地経済は大きく成長した。一方で大量の難民が社会に与える圧力に対処するため、ブラックはクイーン・エリザベス病院(中国語版)や香港大会堂(中国語版)の建設、香港中文大学の設立などの社会建設を推進するとともに、「政府廉租屋計画(中国語版)」を開始し、積極的に市民の生活水準を向上させた。任期の後半では、香港は相次ぐ旱魃と水害に見舞われたた。ブラックは貯水池を建設し、中国大陸当局から東江の水を購入することで水不足を解消した。
1964年の退任後、ブラックは香港に戻ることはほとんどなく、植民地官僚の伝統的なスタイルに従って回顧録も書かなかった。しかし、ブラックはその後も香港事情へ関心を抱いていた。1999年に93歳で死去し、第2代香港総督のジョン・フランシス・デイビス(中国語版)に次いで2番目に長命な香港総督であり、最長命のシンガポール総督となった。生前、英国政府からは何度も勲章を授与された。1962年には植民地での長年の功績が認められ、聖マイケル・聖ジョージ勲章の最高位であるGCMG勲章を授与された。