ロリアン襲撃
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ロリアン襲撃(ロリアンしゅうげき、英語: Raid on Lorient)はオーストリア継承戦争中の1746年9月29日から10月10日にかけて行われた、イギリスによるロリアン周辺を標的とした水陸両用作戦。その目的はフランス軍をフランドルから撤収させて沿岸警備に充てるよう仕向けることにあった。またロリアンはフランス東インド会社によって基地と補給港として使われたため、ロリアンの破壊はイギリスの東インドにおける戦略目的を助ける作用もある。
概要 ロリアン襲撃, 交戦勢力 ...
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イギリス兵約4,500人が乗船してロリアンに向かったが、イギリス艦隊がロリアン沖で数日間待つ必要があったため、ロリアンが守備を組織し、近隣の町から増援を呼び込むだけの余裕を与えた。イギリス軍は10月3日にロリアン周辺に到着、ロリアンと降伏交渉を行ったが5日から7日にかけての砲撃により交渉は決裂、7日にはイギリス軍に撤退命令が下った。イギリス工兵が攻城に失敗したほか、イギリス軍が疫病と疲労で衰弱していたため、攻勢を停止せざるを得なかった。一方、フランス軍の指揮官はイギリス軍が数で大幅に上回ると考えた上、自軍の守備の弱点および訓練と兵器の不足も知っていたため降伏を考え、10月7日に降伏を提案したが、イギリス軍が撤退した直後だったこともあり返事を受け取ることはなかった。
ロリアンへの襲撃は結果的にはフランスがブルターニュ南部の要塞化を進めさせるきっかけとなった。文化的にもデイヴィッド・ヒュームとヴォルテールの間の論争を引き起こすなどの影響を与えた。ロリアンでは包囲に関する歌が作曲され、当地のマリア信仰の原動力となった。