ワシントン焼き討ち
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ワシントン焼き討ち(ワシントンやきうち、英: Burning of Washington)は、米英戦争終盤の1814年8月、イギリス軍がアメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.を攻撃したものである。8月24日のブラーデンスバーグの戦いでイギリス軍が勝利した後、ロバート・ロス少将が指揮する軍隊がワシントン市を占領し、ホワイトハウスやアメリカ合衆国議会議事堂など多くの政府関係の建造物に火を点けた[4]。イギリス軍指揮官は公的な建物のみを焼くように命じ、軍隊内の規律を厳しく保たせたことで、民間の建造物は保護されることになった。
概要 ワシントン焼き討ち Burning of Washington, 時 ...
ワシントン焼き討ち Burning of Washington | |||||||
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米英戦争中 | |||||||
ワシントン焼き討ち | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
イギリス | アメリカ | ||||||
指揮官 | |||||||
ロバート・ロス ジョージ・コックバーン | フィリップ・ステュアート[1] | ||||||
戦力 | |||||||
4,250名[2] | 7,640名 | ||||||
被害者数 | |||||||
戦死1名 事故死約30名 荒れ模様の天候で数名が死亡[3] | 不明 |
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アメリカ合衆国の歴史を通じて、ホワイトハウスやワシントンD.C.を焼いた国はイギリスのみであり、アメリカ独立戦争以降、外国の軍隊がアメリカ合衆国の首都を占領した唯一の例となった。