四日市ぜんそく
1970年ごろに起こった日本の公害問題 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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四日市ぜんそく(よっかいちぜんそく)は、1950年代末から1970年代にかけて問題化した戦後日本の公害問題。大気汚染による集団喘息障害で、水俣病、イタイイタイ病、新潟水俣病とあわせて、四大公害病の一つである。
三重県四日市市の四日市コンビナートから発生した二酸化硫黄が原因で、同市塩浜地区を中心とする四日市市南部地域・海蔵地区などの四日市市中部地域から南側の三重郡楠町(現:四日市市)にかけて発生し、1959年(昭和34年)から1972年(昭和47年)にかけて政治問題化した。
漢字では、四日市喘息と表記する。水質汚染を含めた環境問題としては、四日市公害と呼ばれている。四日市公害が発生した当時は別名では塩浜ぜんそく(四日市市内で使用)[1]の名称や、大気汚染が原因で発生した健康影響事件として[2]四日市のぜんそく事件(国会内で使用)の名称で呼ばれていた。