尾太鉱山
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尾太鉱山(おっぷこうざん)は、青森県中津軽郡西目屋村にあった金属鉱山[1]。近世には銀・銅を産して栄え、江戸時代末期の鉱山地区は津軽藩領内で弘前、青森に次ぐ人口を擁していた[2]。
概要 尾太鉱山, 所在地 ...
尾太鉱山 | |
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世界的に有名な尾太鉱山のロードクロサイト | |
所在地 | |
所在地 | 青森県中津軽郡西目屋村 |
国 | 日本 |
座標 | 北緯40度28分38.9秒 東経140度16分57.2秒 |
生産 | |
産出物 | 黄銅鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄鉄鉱、菱マンガン鉱、石英、緑泥石 |
歴史 | |
開山 | 17世紀頃?(807年?) |
閉山 | 1979年 |
所有者 | |
企業 | 三菱鉱業株式会社 ⇒三菱金属鉱業株式会社 ⇒尾富鉱業株式会社 |
取得時期 | 1952年(三菱による取得) |
プロジェクト:地球科学/Portal:地球科学 | |
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近代には開発と閉鎖を繰り返したが、太平洋戦争後に近代的な開発が行われると、高度成長期には黄鉄鉱・黄銅鉱・方鉛鉱・閃亜鉛鉱などを豊かに出す日本を代表する金属鉱山のひとつになった。1970年代には西目屋村の人口の1/3ほどを占め、村の基幹産業となっていたが、石油危機期に不振になり、1978年に閉山した[3][4][5][2][6][7]。
鉱物収集者のあいだでは、世界的に高い人気のある菱マンガン鉱(ロードクロサイト)の産地「Oppu mine」として知られている[6][7]。