日輪兵舎(にちりんへいしゃ[1])は、1938年から茨城県東茨城郡内原村(内原町を経て、現在は水戸市)にあった満蒙開拓青少年義勇軍訓練所において宿舎と教室を兼ねた建物として多数建設された、木造1階ないし2階建ての円形の建物、および、それを模して日本各地に建てられた、同様の形状の建物(日輪舎)[2]。短期間で容易に建設でき、大人数収容できたことから、戦時下に同義勇軍の訓練生の手によって訓練所内に何百棟と大量に建てられた[3]。満蒙開拓青少年義勇軍を象徴する建物とされ、満蒙開拓青少年義勇軍に関わる様々な文章の中で言及される。
現存する事例は少なく、残されたものは近代化遺産[4][5]ないし近代戦争遺構として保存が取り組まれている[6]。