民部省 (明治時代)
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民部省(みんぶしょう)とは、明治2年7月8日(1869年8月15日)の職員令の公布により、民部官が改組される形で太政官に設置された省庁の一つで、国内行政を管轄した。翌月の8月11日(1869年9月16日)に大蔵省と合併し、役職・庁舎が合同となる(民部・大蔵省)[3]。
概要 民部省 Ministry of Popular Affairs, 役職 ...
民部省 Ministry of Popular Affairs | |
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役職 | |
民部卿[1] | 松平慶永(初代) |
民部大輔[1] | 広沢真臣 |
組織 | |
上部組織 | 太政官[2] |
概要 | |
設置根拠法令 | 職員令[1] |
設置 | 明治2年7月8日(1869年8月15日)[3] |
廃止 | 明治4年7月27日[3] |
前身 | 民部官[3] |
後身 | 大蔵省に吸収され廃止[3] |
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明治3年 (1870年) 7月10日にはまた民部省と大蔵省が分離した[3]。また、明治2年11月18日(1869年12月20日)に民部省に改正掛(かいせいがかり)が設置された。