片山光生
日本の建築家 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
片山 光生(かたやま てるお、1918年(大正7年)9月27日 - 1985年(昭和60年)8月16日)は、日本の建築家。建設省近畿地方建築局員。官庁営繕と民間の建築家として活躍。
概要 片山光生, 生誕 ...
片山光生 | |
---|---|
生誕 |
1918年(大正7年)9月27日 岡山県岡山市 |
死没 |
(1985-08-16) 1985年8月16日(66歳没) 京都 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 京都帝国大学工学部建築学科 |
職業 | 建築家 |
所属 |
建設省(-1973年) →株式会社内藤建築事務所(1973-1983年) →株式会社グリーン・アーキ研究所 設立(1983-1985年) |
建築物 |
国立霞ヶ丘競技場陸上競技場(旧国立競技場) 奈良県庁舎(奈良県庁) 奈良県立美術館 奈良県文化会館 ※基本 関西労災病院 大阪労災病院 |
閉じる
1943年京都帝国大学工学部卒業。国立霞ヶ丘競技場陸上競技場(旧国立競技場)の建設に携わる。旧国立競技場の設計に当たっては当時「東大出の連中はセオリーに頼り、創造性がない」という角田栄チーフの意向により、設計チームが形成されたといわれる。片山は、角田の近畿地建時代の部下で[1][2]、二人とも京大卒だった[3]。